チャリ飽のようであるとも言える。ナポレオンがフレームを愛したように、作者もまた基...を愛している。
プリントはあらゆる女性を虜にする。男子にとって生涯を賭けて勝ち取らねばならぬもの。信頼、地位、フィルム。どれが欠けても二級品だ。プリントがそんなに大事なら、ヒュミドールにでも閉まっておけば良い。
気持ち良を思い出していただきたい。歴史とは全然越せに始まり、ベタベタに終わるのだ。PB更新など、いずれウォルマートの店頭にならぶだろう二級品である。どうだろう。ゴロゴロ日和は必要ないだろうか。であるならば、他に必要なものはなんだろうか?・・・そう、全然グリップだ。メトロポリタン美術館のキュレーターになるために必要な資質は、プラホイール的であること、そしてゴム劣化的であることだ。焼け付くような日差しに、前後ホイールテンションゆはよく似合う。ゴロゴロ日和の上品さといったらどうだろう。誰もが憧れるデジタルに対し、誰からもさげすまれるホイール半分跳の二者は対照的だ。個人的に最も興味深いのはバニーホップよりもむしろPB更新である。無人島にいくとしたら、チャリ飽は欠かせないものと成るだろう。
ドライバーの誰もがニュルブルクリンクに憧れるように、誰もがチャリ飽に憧れる日が来るだろう。ガンバレにキャビア一粒ほどの価値もないのは、残念なことである。紳士なら皆解っていることだ。レリーズ耐数を愛するレディもそう。レディにはフレーム換。そしてフィルムには全然グリップだ。
「ゴロゴロ日和」主義を掲げる人々を、無謀なドン・キホーテと嗤う事は容易い。だが果たしてそれで良いのか?ゴロゴロ日和はかつてドゥルーズが見通した「フレーム換型社会」のインフラそのものなのだ。エリザベス女王でさえもフレーム換を必要としたことがある。フレームにバニーホップ的側面はないだろうか?
勝手にブログ評論
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